Asia Vox -アジアヴォックス- 中国を始めとした、アジアのTV番組制作・コーディネート

アジアヴォックスの歴史

アジアヴォックスという活動体(雑誌アジアウェーブ・インタビューより)

東京・高田馬場に、一方では不動産営業をしながら他方ではテレビのドキュメンタリー番組の制作をするというユニークな会社がある。社名をアジアヴォックスという。その正体と活動内容を代表の堀池尚哉さんに語っていただいた。

アジアヴォックスはどのように生まれたか
もう20年位前になりますが、(1992)弊社の前身は、「国際人権報道センター」と言う任意団体でした。若いジャーナリスト、エスニックメディアの編集長(日本国内で発行している外国人ソサエティーの新聞など)、留学生の有志などで立ち上げた、今で言うNPOです。取締役の劉慶雲さんもその中の一人でした。当時はアジア各地からの入国者が急増し、それに伴い生活上のトラブルがたくさん起きました。特に私には中国の方々からの相談が多かったのです。「正式に雇用され、働いていたのだけれど給料が約束どおりに支払われない。」「日本人の従業員に集団でいじめられる。」「日本人の従業員が犯したミスを自分の責任にされた。」「住宅購入で、再建築不可能な物件を買わされた。」「小学校で子供が先生から差別を受けている。」「入国時に買った保証人がビザ更新のときに保証人を切り替える書類のサインをせず、金品や肉体関係を強要され困っている。」などなどなど。

連日のように相談者が連絡をしてきて、内容も実に様々でした。そもそも入国の際に保証人を買うこと自体が大きな問題ですが、当時の日本国の受け入れ基準が、お金で日本人の保証人を買わなければ日本に来ることは出来なかったのが現実でした。 中曽根元首相が「日本はアジアのリーダーとして、これから多くの留学生を受け入れていく。」と大風呂敷を広げます。それ自体は素晴らしい事なのですが、実務上はその条件として学費や生活費のおよそ10~15万円を支払ってくれる日本人のスポンサーを探せという。アジア諸国などは、まだ殆んど民間での行き来も無い時代にこんなメチャクチャな事を要求する。実際は書類だけの事なのだけれど、多くはブローカーを通じて法務省へ提出する保証人の書類を買うしかない。法務省もどんな事になるか全て分かっていたと思いますね。保証人の価格も高騰し数十万円から国によっては百万を超えた金額を支払った者も少なくありません。バブル全盛期の肉体労働者とか単純労働者が本当に必要だからということがあったのでしょう。生活費も家賃も学費も高い国で学生用の安い寮が完備されているわけでもない環境の中で日本は多くのアジアからのマンパワーを飲み込んでいきました。そもそも排他的な日本人は同じような顔つきをした日本より貧しい国からの留学生・就学生に戸惑いをかくせない。夢をいっぱい抱いて日本を目指した若者達は、現実の厳しさに打ちひしがれてしまう。もちろん「甘い」って言えばそれまでですが、関わった日本人達との溝が深まって行き追い詰められて行き、自暴自棄になってしまう人たちも。そこで、法律の専門家や外国人問題に詳しい方々にも相談して、何とか日本に夢を持って来た外国人がトラブルに巻き込まれてしまった時に、スムーズに問題を早い段階で解決できる仕組みを作りたいと思い立ち上げたのが国際人権報道センターだったのです。

新宿歌舞伎町事件

このセンターが大きな機能を果たす事件が、中国人就学生・黄宇偉さんが新宿の歌舞伎町派出所内で警察官に暴行された事件です。93年6月皇太子御成婚の前夜、世紀の大イベントを翌日に控え町中の至る所に警察官の姿がありました。。各国からの来賓への安全対策の為、外国人・ホームレス・など、身元不審者に対しては、厳しい取り締まりを行ったと言われています。その夜の緊張感はピークに達していました。黄さんは、新宿・歌舞伎町でサンドイッチマンのアルバイトをしていました。すると突然、警棒で背中を何度も突かれ職務質問を受けました。まだ来日して間もない黄さんは十分な日本語が話せません。密入国者と決め付けられた黄さんは二人の警察官に両脇を捕まれ派出所に連れて行かれます。電柱にしがみ付き必死に抵抗しました。「警察、止めろ。私は自由な人。」と大声を上げました。人だかりができ応援の警察官も4人が駆けつけ、6人の警察官によって派出所に連れ込まれて行きます。黄さんは、何度も「ビザもパスポートも家にあります。」と説明をしましたが手足をロープで縛られて6人の警官から殴る蹴るの暴行を受けました。洋服は引き裂かれボロボロになったまま、留置所で一晩明かし涙が止まらなかったと言います。翌日のロイヤルパレード終了後に、強制送還の容疑をかけられたままアパートへ。そこで、警察官は黄さんのパスポートも正式なビザも確認します。密入国者では無かったのです。慌てた警察は警察署に戻り、そこで始めて日本語が十分理解できない黄さんに通訳を付けました。全ての潔白が証明された黄さんは説諭処分として釈放されます。しかし黄さんの体に残された傷跡は余りにも凄惨で私たちの想像を遥かに超えたものでした。黄さんは「日本は先進国であり法治国家だから必ず真実が解明される。」と裁判を希望しました。しかし、私は警察が暴行を認めるはずがない事や、これまでも警察相手の裁判は殆んど勝ち目がない事、そして何より裁判にはそれなりの費用と時間がかかる事を説明しました。すると、ある日、不可解な事に数名の警察官が黄さんの留守中にアパートを訪ねる動きがありました。専門家や支援者の判断は「ここまで来たら、逆に目立っていかないと黄さんを守ってあげられない」「提訴をしていかなければ、突然の別件逮捕や冤罪での強制送還も十分に考えられる」との言うのです。不思議な話ですが警察から彼の身柄を守るために、民事と刑事の両方で警察官の暴行を東京地裁に提訴することが決定します。私も、異国の地で、国家権力相手の裁判に挑む黄さんの為にも、国際人権報道センターが中心になってバックアップして行くしか無いと決断し、その時、世話になっていた会社を辞める決断をしました。当時の私は、伊丹十三監督の劇場映画の宣伝に携わっていました。その前年の5月には、映画『ミンボーの女』に反発した暴力団員に自宅前で顔を切られる事件がありました。

24時間体制で伊丹監督を守っている警察組織を同時に告訴するには、私の中にとても違和感がありました。その後は、私もアドバイスに従って、自分の事を守る為に知り合いの弁護士やジャーナリストに積極的に働きかけていきました。映画の宣伝の手法を使って情報をメディアに流し、20を越えるテレビNEWSや新聞、その他の活字媒体に、この事件を取り上げてもらう事ができました。既存の大手のマスコミだけしか参加できない「記者クラブ制度」にも兼ねてから疑問を持っていましたので、ミニコミ・市民団体・研究者などを含め、あらゆるメディアを対象にした記者会見を開きました。既存の大手メディアが集う記者クラブの会場では、一般の人が参加することができません。従って、ホテルの会場を借りて開かれた「記者会見の場」と称して、この裁判の実像を公にしていきました。いろいろな国のジャーナリストが応援団を組んで下さり、各メディアに報告を載せてくださいました。私の師匠の一人である、ジャーナリストの故黒田清さん。彼の主催する勉強会に参加していましたので、黄さんをその会場に呼んで報告会をさせてもらいました。裁判費用の足しにと義援金を頂きました。株式会社庄建設代表・ドキュメンタリー映画のプロデユーサー故庄幸司郎さん。黄さんが裁判をすると決断したとき、黄さんの保証人が「警察相手の裁判なら保証人として。一切の協力は出来ない。」と告げてきました。一時は提訴を断念せざるお得ませんでした。すると庄さんが「私が君たちの後ろ盾になるから、思う存分やりなさい」と保証人を引き受けてくれました。俳優の故三国連太郎さん。警察を相手に国賠の刑事裁判を考えていると相談した時に「普通の弁護士ではダメでしょう、もしも必要ならば私の仲間の弁護士を紹介しましょう」と言って下さいました。三国さんには、裁判の経過を最後の最後まで気にしてくださり、結審するまで、ずっと報告をさせていただきました。(結局は、外国人刑事弁護団に参加していた渡辺博弁護士にお願いしました)まだまだ多くの方が応援してくださって、其れはもう、とっても心強かったです。裁判は、刑事と民事で二年間やりました。国家権力が向かい合ってくるときの恐怖感といったらそれは凄かったです。実は、面白い話しがいっぱいあるのですけど、これはいつか自伝でも書けるぐらい偉い人になったら、その時に書きたいと思います。結局、裁判所の判決は「有形力の行使が有った事は認める」と暴行があった事実は認めたものの「社会通念上、警察官は不当な暴行は行わない」と言う理由から訴えは認められず敗訴。逮捕術などの特別な訓練を受けた6人の警官が来日したばかりの留学生1人に通訳も付けずに取調べをし密室で手足を縛り正当な制圧行為したのであると判決しました。これまで社会通念に反して多くの警察官による暴行事件などは起きているにも関わらず、裁判所は社会通念という言葉で公権力の暴力行為にお墨付きを与えてしまったのです。でもこれは、予想通りの結果でした。しかし、黄さんは「法治国家の中の法治差別」「自分が欧米人ならここまで酷い扱いは受けないだろう」「アジアからの留学生だからと言う偏見を感じた」「二度と繰り返さないで欲しい」「それでも日本が大好きです」と記者会見をおこない判決2週間後に帰国しました。現在、黄さんは中国で日本人を顧客としたビジネスで実業家として大成功しています。一緒に上海でレストランを開こうという計画もあるんですよ。

アジアヴォックスの仲間が集まる

この目で日本を見てやろうと好奇心旺盛で知的欲求が高い人たちが真っ先に日本に来ました。そしていろいろなトラブルに巻き込まれる。そんな人たちが私達を訪ねてくる。面白いことにみんな、母国ではマスコミ関連だったり、法律家だったり、あるいは政治家だったり、納得しなければ当然、彼らはしゃべることも書くこともできる人たちだから黙ってないわけですよ。自分がいやな思いをしたら絶対に泣き寝入りしない。「何でこんな目に遭わなきゃいけないんだ!」って。海外生活の経験なども豊富でバランスのいい人たちも多かった。だから、先進国である日本のあり方にまで話は及んでいく。そういう連中が、日本国内で外国人関係のトラブルが起こるとワッと集まって、活字で報道していくべきか、これはテレビ番組にして作っていくべきか、なかには一切マスコミ報道は使わずに、手弁当でやってくれる弁護士なんかにお願いして、問題を解決してゆくとか、最も良い解決方法を選んでいくのです。今考えても僕のところに集まってくれた人たちは非常に優秀な方たちで人間として尊敬できる方が多かった。まさに、その中の一人が一緒に起業した劉慶雲さんです。彼は中国時代から中国国家放送局中央人民広播電台でジャーナリスとして活躍していました。日本に留学し慶応義塾大学大学院法学研究科に学び留学生新聞、民主中国、月刊誌「日本展望」(霞山会出版)などの記者として活躍していました。彼を知る人は、「日本と中国の人々の心を繋ぐ」いつまでも手元に残して置きたくなるような記事が多かったそうです。黄さんの裁判では、協力をお願いした中国人記者の殆どは「警察相手の裁判にわざわざ積極的に関わりたくない」「自分が警察に目をつけられるのは馬鹿馬鹿しい」と取材も応援も出来ないと消えていく人が殆んどでした。しかし劉さんは「自分が出来る事はジャーナリストとして最後までこの事件を見届け、発表していく事です、個人としても応援して行きます」と表明してくれた、数少ない1人でした。そして、最後の最後の最後までずっと寄り添って取材を続けてくれました。

今振り返ってみると、色々と苦労しましたが、この時期に会社の基盤が出来あがり、本当に多くの事を学んだ大切な日々だっと思います。

事業展開

銀行口座の開設の仕方、国際結婚でのDV、詐欺事件の相談から警察告訴に至る事件まで、様々な事件が次から次へと飛び込んできて、連日のように打合せだの取材だの裁判だのと、事件に追われるようになりました。僕はずっとフリーランスで番組の企画や映画の宣伝をやっていましたから時間は比較的調整が利きました。でも会社に勤めながら参加してくれていた人たちは本当に大変だったと思います。いくら志だけは高くても、その活動資金をどこから捻出するか?NPOではよくある問題に我々も例外なくぶち当たるのです。それじゃあボランティアの段階は終わりにして「自分たちで真剣に事業(事務所)を持ちましょう」という話になっていく。自分たちの頭の上のハエぐらいは追えるようにしなければ、人の事なんかとても応援できない。そんな事から番組制作会社を起業しましたが、不動産(宅地建物取引業)の免許を持っていましたので、思い切って高田馬場の駅前に不動産仲介業の店舗をオープン。「日本一ユニークな不動産屋さん」として、ASIAVOX/PLAZA HOUSINGは誕生します。特に外国人の住宅に関しては、これまでも保証人の立場で不動産屋を回っていましたので外国人のお部屋探しの大変さも十分に理解していました。そこで、常に中国語や英語で対応が出来る不動産屋さんを作りました。日本の生活習慣をしっかりと伝えて日本で安心できる生活を提供したいと願っていました。どうしても審査が通らない人のためには自社でリスクを取ってゲストハウスを提供したり、町のアドバイザーとしての役割も果たして行けるようになりました。現在まで世界60カ国以上のお客様にお部屋を紹介しています。法人登記は平成十年五月二十六日。これは、劉 慶雲さんの誕生日でもあるのです。

「ヴォックス」とは?

ラテン語で、「VOX POPULI, VOX DEI」という言葉があります。これは、イギリスの宗教家ALCUINが時の皇帝に治世の要諦を尋ねられて答えた言葉で、「民の声は神の声」という意味です。テレビでアジアの取材が本当に多いのですが、力を持った人と話を進めていくのはすごく速いんですよ。ものごとが思うようにどんどん進んでいく。だけど、ちょっと待てよ、アジアで力を持っているって、それだけでちょっと胡散臭いなと。本当の声というのは人々の声を丁寧に拾いあげていくことによって、神様の声に近づいていくのではないか!というようなことです。楽したら大切な物を見逃すぞ、という戒めです。後から知ったんですけど、朝日新聞の「天声人語」というのはここから来たのだそうです。

番組制作と不動産屋

番組制作と不動産業を始めるにあたり、お客様にどう映るのかとても心配でした。ところが不思議な事に外国籍の方は勿論、潜在的にアジアに興味のある方、以前アジアで勤務されていたビジネスマン、大使館員、研究者、マスコミ関係者、マスコミに興味のある学生など何かに引きよせられるかのように訪問して下さいました。素晴らしい出会いが今でも拡がっています。アジアヴォックスでは、早大生のお客様が圧倒的に多いのですが、お部屋探しが難しい外国の方も相当数いらっしゃいます。実は他の不動産が外国人のお客さんが来ると「アジアヴォックス行ったほうがいいよ」って勧めて下さっているらしいんです。私どもは、ご縁を頂いた以上はスタッフ全員がその方の希望を叶えてもられるように最善を尽くします。中には幾つもの不動産屋さんに無碍に断られ、傷つき、失意や敵意を抱きながら小社にご来店頂く方も少なくありません。そのことが差別だとは思いませんが、なぜ日本社会では外国人がお部屋探しをするのが難しいのかという現状を誠心誠意伝えます。これも大切な文化交流ですね。実際に外国人、特にアジア圏の方のお部屋探しは日本人、欧米人に比べて労力がかかるのも事実です。その後のアフターケアなども大変です。しかし少し視点を変えて見て下さい。彼ら一人一人の持つ可能性は計り知れない。野茂だったら最近ですが、勝海舟やジョン万次郎だったら、150年前。日本人でも世界に飛び出して行った若者たちがいましたね。外の世界を見てやろうと、いてもたってもいられないエネルギーあふれる若者が、今は日本を目指してやってくる。毎日のようにアジアヴォックスを訪れる彼らから私は世界中の話を聞かせてもらいます。時には部屋の話を忘れてそのまま食事に行っちゃったり。彼らの多くは、母国に帰って日本語を武器にビジネスを始めたり、政府の機関に入ったり、教育機関で日本語や日本文化を教える仕事に就いたりします。これまでもアジアヴォックスでのお部屋探しがきっかけとなりテレビ番組で取材した方もいます。また、ビジネスパートナーになっている方も何人もいます。彼らにとっても、私にとっても、気心の知れた良きブレインです。「部屋探しから始まった神話」を一緒に喜び合うことが、幸せを感じるひと時です。

番組を作っていると何十万人、何百万人の人が対象だから、自分がたいそうな事をやっているような錯覚に陥りやすい。一人一人の大切な個人と向かい合えなければ報道被害や現場の思いの深い部分も逆に嘘も見抜けないんじゃないかと。だからテレビの現場しか知らないで番組を作るのって、結構危険なんじゃないかって。テレビの番組で人権問題なんかをテーマにして番組を作ることはさほど難しくないんですよ。被害者らしき人がいて、加害者らしき人がいて、両方の言い分をとって、最終的には、まあ埒が明かないんですけど、最後は管轄の官公庁に持っていって、法律がない。制度があやふやだった。みたいな所に落とし込んでいくわけです。でも実際私たちのようにちがった現場を持っていると、どこまでそれが人権侵害なのかということになってくるんです。不動産をやっていて、オーバーステイの人が来て、五人で入りたいと。営業マンがそれは無理だということで帰らすとします。人権派のジャーナリストで差別をテーマに取材をする人間がそこにいたら人権侵害だというかもしれない。だけどそれは人権侵害でもなんでもなくて、やっぱりどんなに頑張ってもオーバーステイで五人住むというのは普通は対応出来ません。高みに立った所から番組を作ったりものを書いたりするのではなく、ほんとに現場の中で個人と向かい合って、利害を絡めて、この目の前にいる人に自分が、何ができるだろうかということに一つ一つ決着をつけていくわけです。例えば分かりやすい例ですが、外国人は敷金が2ヶ月だと不安だが、3ヶ月なら契約してもよい。と言うオーナーが居ます。彼は差別していますか?国籍などによって敷金を高く要求するには疑問ですが、ビジネスの原理原則のリスクヘッジをしているだけです。

本当に、我々が見て行く必要があるのは、お金の問題ではなく決して外国人に貸してくれない人たちです。売買はお金さえあれば、買主についてさほど問題になりませんが特に賃貸業の場合は実際にオーナーの意向が優先されがちで、出身地、国籍、年齢、職業、障害者などにより断られることが多い。一つ間違えばいつでも自分達は差別の加害者になりうるというギリギリのところで仕事をする。大きなマスでものを作っていく事と、どこの不動産屋からも相手にされない、目の前で助けを求めている外国人を相手にするのと両方やる。外から見ていると何でテレビと不動産屋なんだろうと思うかもしれないけど、私たちにとっては大いなる必然なんですね。これを両方やることによってバランスよく見えてくるものがあるんです。

アジアに広がる仲間のネットワーク

日本国内の外国人の問題というのは日本人の問題ですから、受け入れていく僕たちの問題です。僕たちは出会った仲間の力を借りながら、一緒に活動して来ました。それで、とっても良い関係になって、彼らが帰国しても、私たちとのかかわりをすごく大切にしてくれています。センター時代に活動していた仲間の殆んどは帰国をしています。これも本当に面白いのですけど、いろんな国や地域のマスコミに就職をしたり、黄さんのように実業家として成功をしている人が多い。僕たちが海外で番組を制作したり、貿易などの仕事をするとき、その絆は何よりも強みになるんですね。そういう意味では現在、中国、台湾、香港、インド、スリランカ、ネパール、バングラデシュ、モンゴル、フィリピン、にアジアヴォックスの事務所ができました。現在では中国進出や撤退のコンサルティングなどもやっています。これからも、アジアの国を一つ一つ、活動範囲を広げていきたいと思っています。今は東京を本拠地にして仕事をしていますが、直接の支店だけでなく、それぞれの国の日本に留学や就職経験の有る若い経営者との国際フランチャイズが出来つつあります。日本が元気なうちは、日本を頂点において、そこから外にいろんなものを流していくわけです。もしシンガポールなり中国なりが大きく台頭してきてアジアのリーダーになってきたら、拠点を移して、その周りのひとつとして日本を置けばいい。いつでも、柔軟に行き来できる共同体をアジア中に構築しているところです。

アジアヴォックスの仕事

現在、私たちの携わっているテレビ番組は、多くがNHKです。民放も昔は何度かやっていますが、どうしても刺激的な映像やスクープ性を求められる。しかもニュースの特集などは一回放送したら終わりです。しかしNHKだとハイヴィジョン、BS、地上波と間口も広く、良い作品は何度か再放送してもらえます。じっくりと撮るドキュメンタリーを中心にやっていますから、NHK―BS放送なんかが一番やりがいがあるのです。

今では、トップクラスの制作会社さんからも声を掛けていただけるようになりましたが、何といっても、私たちのターニングポイントは、2002年にコーディネートさせて頂いた「世界わが心の旅」というBSの看板番組でしょう。漫画家のちばてつやさんが、漫画家になる原点は中国・瀋陽にあったという話をやりました。

終戦を旧満州の奉天(瀋陽)で迎えたちばさん家族は、引き上げ船の出る港をめざし歩き続けます。ドサクサの混乱の中、子供と生き別れになったり、我が子の将来を案じて中国人に泣く泣く我が子を託した人もいた訳です。小さな子供を何人も抱え家族の離散だけは避けたいと、思うように前に進めないちばさん家族は、日本人の集団とはぐれて路頭に迷います。季節は冬、このままだと凍え死んでしまう、子供を連れたままこれ以上動けない、中国人に見つかれば、仕返しに殺されるかもしれない。そんな時、偶然でくわしたお父さんの知り合いの中国人が知り合いの家の屋根裏部屋に家族を一冬、かくまいます。小さな八畳くらいの屋根裏部屋に家族六人、ちば先生が長男で下が三人、どうしても暴れ盛りだから狭いところに一日いるのは耐えられない、外で遊びたい。窓から外を見ると中国の子供たちが楽しそうに遊んでいる。でも出て行けば日本人がいるということで大変なことになるし、助けてくれた人、家を貸してくれた人たちに迷惑がかかる。それでちばさんが弟さんたちのために漫画を描くんですよ、日本の昔話だとか、自分で創作したものだとか。いい子にしていれば続きを描いてあげるって。自分の漫画を毎日本当に楽しみに待ち望んでくれた弟たちの瞳を見て、自分は将来漫画で人々に喜ばれる仕事をしようと決断される。

それで日本に戻って成功した今、「終戦直後のあのとき自分たち家族をかくまってくれた徐さんという人にもう一度会いたい……」と。ちば先生も新聞社などを頼って何年も徐さんを探しているが、まるで手掛かりがない。制作に当たるNHKと東京ビデオセンターからも命の恩人探しが可能か否か調査して欲しいと、現地のコーディネーションを打診されました。現地でどうやって探すかなんですけど、勿論役所はオンラインなんて引いてない。住民票なんかも当時のものは有りませんね。仮に亡くなっていれば何十万人という死亡者リストを1枚1枚確認するしかない。どこかに引っ越していれば、もう殆んど不可能なわけです。でも実は私たちには自信が有りました。なぜならば瀋陽市電視台と遼寧省電視台のナンバーワンのプロデューサーが実はうちの国際人権報道センター時代の仲間なのです。彼らの全面協力で、日本の漫画家のちばてつやが命の恩人を探していますという特別番組を向こうで制作してもらい放送しました。新聞とか雑誌とかあらゆるメディアに出来るだけ露出して『ちばさんのご家族、中国人の徐集川さんをご存知の方は連絡してください。」と情報を募ったんです。普通のテレビのコーディネイターだとなかなかそこまで出来ないと思いますよ。それぞれが、何も無い時代に私達は出会い、必死に目に見えないものを、懸命に作ってきた仲間が居る。これは、契約書や契約金を超えた、深い信頼がプラスアルファを生み出すのでしょう。(番組をご覧になりたい方は、NHKアーカイブスで見られるようです。)これは非常に感動的なドキュメンタリーでした。この作品は大変評判がよく、2003年度のATPの大賞を受賞しました。(ディレクターは、東京ビデオセンターの佐野岳史さん。いつもありがとうございます。)

その後も、多くの素晴らしい作品、プロデューサー、ディレクターさんとの出会いに恵まれ、中国を柱にTVドキュメンタリー・コーディネーションの分野では、ようやく一人前になれたのかなぁ。と感じています。皆様への感謝の気持ちでいっぱいです。

■アジアヴォックスの歴史 代表の堀池が語る、アジアヴォックスの歴史と信念
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