ミュージックビデオ
「Don't miss it!! / BiS1st 新生アイドル研究会 [OFFiCiAL ViDEO] 〜香港〜」
私たちAsiaVox香港がコーディネイトした作品を紹介します。
番組紹介

昨日に5人体制でのラストライブを終えたBiS。明日6月2日の石川公演からBiS1st、BiS2ndとしての活動がスタートする。
BiSにとって初の海外撮影となったBiS1stのPVには、香港の街を舞台に路上でメンバーがダンスする様子や、土下座をする場面が映し出されている。また、スクラップ工場で撮影されたBiS2ndのPVでは、泥やローション塗れになりながらダンスを披露する姿などが確認できる。
現時点でのBiS1stのメンバーはパン・ルナリーフィ、ゴ・ジーラ、ネル・ネール、トリアエズ・ハナの4人。BiS2ndのメンバーは、ペリ・ウブ、アヤ・エイトプリンス、キカ・フロント・フロンタール、YUiNA EMPiRE、ムロパナコ、ミュークラブの6人。
アジアヴォックスの紹介
私達、アジアヴォックス番組制部では、中国を始めとして、台湾・香港・韓国・インド・スリランカ・ネパール・バングラデシュ・フィリピン・ベトナム・タイ・モンゴル・アイルランドなどアジアを中心に「民の声は神の声」を原点に!ドキュメンタリー番組の企画・制作・リサーチ・コーディネートを行っています。スリランカではメディアスクール・インドでは劇映画の輸入・バングラデシュではテレビドラマの制作を行っています。その他、中古車や日本食材の輸出・国内外の不動産業を行っています。
アジアヴォックスの実績紹介はこちら。
海外事業所





フィリピン第2の都市、セブで音楽の指導者として奮闘する永田正彰さん(33)へ、大阪府に住む母・順子さん(66)の思いを届ける。
人口の急増により、スラム街の拡大が深刻な社会問題となっているフィリピン。4年半前に現地へと渡った正彰さんは、セブ市内に住む貧困層の子どもたちに無償でバイオリンやトランペット、フルートなどさまざまな楽器を教えている。生徒は7歳から18歳までおよそ100人。貧しくて学校にすら通えず、この教室に来るまでは楽器にふれたこともなかった生徒たちだが、いまやオーケストラとして人前で演奏をするまでに上達。音楽を始めるまでは1日中外でぶらぶらしていたという子も「大勢の前で演奏するのが一番楽しい!」と目を輝かせる。間もなく、生徒が全員参加する過去最大規模のコンサートの開催が迫り、正彰さんの指導にもおのずと熱が入る。
正彰さんは、中学生の頃からブラスバンド部に所属し、青春のすべてを音楽に費やした。その後、トロンボーン奏者として活動していたが、セブ島へ。その決断には、自らの家庭環境に理由があった。正彰さんの両親は、不仲が原因で別居。一緒に暮らす母には言いたいことが言えず、唯一音楽だけが自分を表現できる居場所だと思うように―――あの頃の自分と同じように、寂しい思いをしている子どもたちに居場所をつくってあげたい。「辛いとか悲しいとかの感情を笑顔で隠してしまわないようにしてほしい」と、音楽を通じて子供たちと時間を共にしている。最近では、新たな試みとして出張の音楽教室を始めた。セブで最も環境が悪いスラム街に赴き、学校にも通えない子供たちのため少しでも楽しめる場所を作りたいと考えてのことだった。子どもらの奏でる音に涙する人も。音楽を通じて色んな感情を表現してもらいたいと、正彰さんは現地の人と接していた。
迎えたコンサート当日。スラム街で育った子どもたちのほとんどは、会場であるショッピングモールに来るのも初めてで、大舞台に緊張気味。しかし、そんな心配をよそに我が子の晴れ舞台に家族たちも大勢駆けつけた。音楽で、生きる喜びを感じてほしい。厳しい環境に置かれた子供たちの可能性を広げてあげたい。少しずつ、その思いが形になりつつあると感じる今では、逆にフィリピンの人々から幸せをもらっているという正彰さん。家族を大事にする現地の人々と触れ合ううち、「日本にいる家族のことを考えるようになった」と、自分の気持ちに変化が生まれてきたという。
そんな正彰さんの元に、「もう少し母親らしいことをしてあげられればよかった」と悔やみながらも、ずっと見守ってきた母から、届け物が…母が初めて息子へ綴った手紙を読んだ正彰さんの、その心に迫るものとは。
今回の配達先はフィリピン。世界6階級制覇を果たした伝説のボクサー、マニー・パッキャオをはじめ数多くのチャンピオンを生んできたボクシング大国でプロボクサーとして奮闘する大塚喬太さん(23)へ、東京都に住む母・純子さん(44)、祖父・賢一さん(76)の思いを届ける。
純子さんは大のボクシング好き。これまでは「見ちゃうと悔しくなるから」と、喬太さんの練習風景も試合も見たことがなかったという。そんなボクシングファンである母の影響で、小学2年生からボクシングを始めた喬太さんは、中学卒業後の16歳のときに「さらに腕を磨きたい」と単身フィリピンへ。18歳でプロデビューしてからは5戦連続で勝利を収め、フィリピンでは外国人として初となるランキング入りを果たす。しかし、念願のタイトルマッチで惜しくも敗戦。以来負けが込み、ランキング外となった現在の戦績は11戦6勝3敗2引き分けで、1年以上勝ち星に恵まれていない。喬太さんのトレーナーであるロジャーさんも「喬太はとても良い選手だけど、パンチ力が弱いことが課題」と話す。そこで喬太さんはパンチ力をアップするために体重を増やし、階級を1つ上げて次の試合に挑むことに。対戦相手は30戦15勝と喬太さんの3倍のキャリアを誇るが、勝てば再び国内ランキング入りしベルト挑戦にも繋がる、ボクサー人生でも大きな転機となる重要な試合。過酷な調整を終えた試合前日、計量会場で相手ボクサーに対峙した喬太さんは「全然問題ない。やるだけ」と静かに闘志を燃やす。
家族からの仕送りを生活資金としてきた喬太さんだが、フィリピンに渡り8年が経とうとする今、「家族や支援してくれている人たちのためにも、今年1年で結果を残したい」と、その援助を断ち切って次の試合に臨む。ファイトマネーも入ってこないため、これまでの仕送りから少しずつ貯めていた貯金で生活し、まさに今年1年が勝負の年だ。
母の純子さんは21歳の若さで未婚のまま喬太さんを出産。息子を養うために遅くまで働きに出ていたため、今は亡き祖母の靖子さんが母親代わりだった。喬太さんは「幼な心にも優しい存在だった。自分をしっかり愛してくれて見守ってくれていたのは、何年たっても忘れられない記憶になっている」と振り返る。祖父の賢一さんは「(靖子さんは)『喬太の面倒は私が見るんだ』と一生懸命だった」と打ち明ける。現在、フィリピンではマネージャーのアルトゥールさんが、試合を万全な体調で迎えられるよう喬太さんを家族の一員として受け入れサポートしている。
結果がなかなか出せずもがき続けている喬太さんだが、日本の家族や応援してくれる人、家族同然に接してくれるスタッフらさまざまな人の思いを背負い、いよいよ頂点に立つための大一番へ。そして、ボクサー人生を掛けた戦いを終えた息子へ母からの届け物…それは今の自分へ向けられた厳しくも優しい家族の想いに溢れたものだった。









